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チン毛
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最初からこんなテーマで申しわけない。下ネタではありませんので悪しからず。現象は一面的な見方をすることができず、観察者の立場や経験から様々に解釈できるという、まぁ、そんなあたりまえのお話です。
私は学生時代よく研究室に泊りこんでいた。学部生であったこともあり、特に研究が忙しいわけでもなく、だらだらと友人たちと一晩話していたりするのが好きだった。 20世紀後半に学生時代を送った者として、研究室は唯一、高速インターネット(それでも64kbps)に繋がる環境でもあり、黎明期の混沌としたネットの泥沼を探検者気取りで意味もなく渉猟していたものだ。ド田舎にあるにもかかわらず結構なマンモス校で、3つの食堂を含め、床屋などの生活必需店が校内に完備しているとあっては、通学に片道2時間近くかかる私が家に帰らなくなるのも無理はあるまい。
さて、そんなこんなで研究室に泊りこんでいた或る日、校舎の2階西端の男子トイレで気付いたことがある。入口から一番近い小便器には抜けたチン毛がいつも何本か落ちているのだ。その隣の小便器にも少数落ちてはいるが、それより奥の便器にはほとんど見られない。なるほど、これは理にかなう。トイレに来る以上、大半の者は小便がしたいのだろう。差し迫ってはいずとも欲求を速やかに満たすためには、最短経路の小便器が都合がいいはずだ。しからば、当然、手前の小便器の使用率は高くなり、使用者が多いがゆえに偶然抜け落ちるチン毛も多くなるというものだ。
研究室に帰った私は、さっそくこの話題を友人たちに持ちかけた。そこで、非常に驚くべき対立説を聞くことになる。私が一通りの事実と仮説を述べた後、M君は言った。「たけし[1]、それは違うぞ。チン毛の抜けやすい奴が手前の便器を使ってるにすぎない。」一生忘れることが出来ない、そして、人生に多大な影響を与えることになる言葉だった。何気ない会話の中だし、大昔の話だから、おそらくM君は発言どころか、そんなことがあったことすら覚えてないだろう。しかし、私にとっては世界との関わりを一変させるだけの起爆力を持っていた。
指摘されてみると、なんともまぁ、納得の話なのだが、指摘されるまでは思いも及ばなかった。なぜ、自分でこの可能性を考えることができなかったのか、後からでは不思議でならない。夢から覚めて現実だと思っていた世界が、やはり夢で、もう一度目覚める。そんな、おもちゃのロケットパンチで頭をコツンと叩かれたかのような奇妙な感覚だった。難しい数理が理解できたときの、いきなり地平線の向うまで視界が開ける感覚とは違う。推理小説で全ての伏線が解きほぐされたときの、収縮する波動関数のように[2]、組み合わされた粘土板の欠片から隠された地図が現われる感覚とも違う。知っていたはずのことをもう一度知る。それはデジャブに似たふんわりとした記憶が染みていく感覚で、切りとられた衝撃の光景よりもはるかに永続的な効果を持つものだった。似たような原因から丸で異なる結果が生まれるのは日常よく経験するが、結果が同じであるにもかかわらず、原因が複数考えられるというのもちょっとした驚きであった。
この事件以降、私は大きく懐疑的な性格へと舵を切ることになったと思う。「それは本当に正しいのか?」誰かの主張はその前提条件にまで踏み込んで検討するようになったし、自分の考えには見落しがないか事前に何度も確認するようになった。もちろん、出来るだけ先入観を排除し、広い視野を持つよう努力している。全く単純なことでさえも、指摘されるまでは思いもつかない経験をしたのだから。簡単に言えば自分も他人も簡単には信用しなくなったのだが、これが良いことであるのか悪いことであるのかは正直わからない。
当時の話に戻ろう。「チン毛の抜けやすい奴が手前の便器を使ってるにすぎない。」個人的には世界観を変えるほどの大きな感銘を受けていたわけだが、実際にはジュース片手のたわいもない会話の一環として、仲間内では特別に意識されるわけでもなく他の話題とともに流された。私はなぜこれほど心を打たれたのか判然としない気持ちを幾分か持ちながら、再び、2階西端のトイレへと向かった。入口のドアを開け、いつものように一番近い小便器の前に立ったとき、チン毛が一本、はらりと便器に舞い落ちた。
チン毛のよく抜ける奴って俺だったのか?

  1. [1] 普段、私は下の名前で呼ばれてます。
  2. [2] アインシュタインもびっくり。比喩は適切に使わないと余計にわかりにくくなります。