2020-11-18 22:04:17 JST
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(2020-11-18) Operation MWA - 摩耶波状攻撃作戦、始動。天狗道を登り、地蔵谷を下る。黒岩尾根で登り返し、桜谷道で下る。さらに、徳川道を登って、最後にシェール道を下る。実に男らしいコース設定である。山頂を目前にして引き返しては別ルートで登り直す。正に益荒男振りを見せつけていると言って良いだろう。、、、が、実は大したことはない。 300m前後の登りが3回で獲得標高は1000mと言った所か。実際には六甲縦走の方がしんどいはずである。しかし、大事なのはそこではない。折角登ったのにわざわざ下ってまた登ると言う、ある種「アホらしい」行為を繰り返せる姿勢が大事なのだ。田中陽希(100名山一筆書)の偉業の本質もそこにある。登山自体は誰でも出来るし、むしろ望んでしたい人の方が多いくらいだろう。だが、普通の人は登山口までは交通機関を使う。家から登山口まで歩くなんて「アホらしくて」しないのである。彼はそれをしている。家から登山口も、登山口から次の登山口へも全て歩く(走る)のである。本当は誰でも出来る。でも、アホらしくてやらない。それをやり切ることはやはり偉業である。番組でも山登りのシーンでは特に感銘を受けないが(カメラマンの方が大変やろと思う)、写っていない部分で地道にロードを走り続けている様を思うとやはり凄いと言わざるを得ない。、、、と、無意味な自己満足を十分に正当化したところで、MWAである。 7時神戸三宮駅、8時市ケ原、トレッキングシューズに履き替えて作戦開始。まずは、稲妻坂・天狗道を登る。六甲縦走路の一部であり、摩耶登山のメインロード。しかもハイシーズン。平日にもかかわらず早朝から結構な人数が歩いている。縦走中であれば菊水山・鍋蓋山を越えてからの急登となるため辛い所であるが、今回は最初の登りであり体力十分、1時間かからずに高度600mを越える。山頂までは残り100mもない。、、、が、ここで勇気ある撤退。エベレストを目の前にしながらも悪天候に道を阻まれ、涙を飲んで下山する登山家の気持ちを味わう(注、本日晴天)。摩耶山腹の迂回路から地蔵谷に入る。道標などでは地蔵谷(難路)との表示があるが、SSCCによれば大したことはないとの話であった。如何程のものかいざ下らん。特に危ない箇所はないですな。清流沿いの落葉絨毯がカラフルな道であった。時折零れる朝の陽光にひらひらと枯れ葉が舞うのは幻想的ですらある。マイナー道で誰も通らないけど、この時期であれば間違いなく天狗道より美しい。みんなこっちを通ればいいのにもったいないなぁ。程なく300m下って、お次は黒岩尾根である。ここの取り付きは急である。下りは思いのほか筋力を使うので登り返しは足が重い。一気に300mを登り切ると名もないピークがあり、そこからは爽やかな尾根歩きである。途中、ベンチがあり、振り返ると菊水山や高取山まで見渡せる。摩耶山に行くには少し遠回りになるけど、稲妻坂よりこっちを登るほうがいいんじゃないかなと思う。そして、いつしか標高は680m。摩耶山頂は702m、展望台のある掬星台で690m。あと、ほんの僅か、、、というところで名誉ある撤退。南極点まで後少しでありながら、怪我をした仲間の命を救うため、歯を食いしばって引き返す冒険家の気持ちを味わう(注、本日単独行)。さて、下りは一昨日も歩いた桜谷道。裏摩耶の谷は何れ劣らず素晴らしいの一言。この道はやはり人気らしく何名かの登山者とすれ違う。 250m下って、徳川道で登り直し、流石に少々疲れてきた。徳川道も沢道です。素晴らしい。ハイ終わり。流石に書くことがもうないですな。 150m登れば穂高湖到着。後はシェール道を下るだけなのだが、湖周道でシェール槍なる看板を見つけ寄り道。 50m登るだけ、穂高湖のついでに行けるので、機会があれば行く価値あります。シェールガスやシェールオイルとかよく聞くけど、ここでのシェールも頁岩のことかなぁ。ちょっとした岩登り、アスレチックを楽しめる上、山頂からは新穂高や石楠花山といった摩耶北の山塊を望むことが出来る。さて、やっと終わりだ。シェール道に入る。生田川の本流となる沢道だ。裏摩耶の谷は素晴らし、、、以下略。徳川道まで戻ればMWA終了であるが、体力も残っているので、石楠花山まで寄り道してみた。展望台がある割にはさほど視界が開けない山ではあるが、秋の裏摩耶はどの道を歩いても損はしないコースである。寄り道しすぎて時間が押してきた。市ケ原に帰り着けばすでに15時半。山は夕暮れの風情であった。これにて、Maya Wavy Attack、作戦完遂である。今回は摩耶山頂を目前にしながら、敢えて下ると言う趣向でやってみた。地図と行路を眺め直す。大好きだったマヤちゃん。良い所までアプローチしながらも、告白できずに引き返してしまう。そして最後は、「幸せになれよ」と心の中で祝福しながら友人のもとに見送る結末。そんな切なくも優しい男の悲哀が行程記録からは感じられよう。