logo logo_atte 日記 随筆 何処
2018-06-21 17:14:34 CST
さて、景洪のことを色々褒めているが、これにはカラクリがあると思う。一言でいってしまえば国家による締め付けであり自由があるとは思えない。まず、スピードを出す車がなく、アジア名物爆音クラクション合戦がないこと。これは簡単で、ほぼすべての交差点を公安が監視している。監視していると言えば聞こえが悪いが、主な仕事は旗を持っての交通整理である。もちろん、交差点には信号機があるのだが、加えて公安も必ず配置されている。そして街にゴミがないこと。こちらは、300m置きくらいに清掃員を見かける。もう、拾うゴミがないと思うところでも頑張って枯れ葉や枯れ枝を拾っている。さらに、高圧洗浄車が市内を循環している。水しぶきを上げながら街のホコリを洗い流していく。最後は、想像だが国境間近の都市として政府からふんだんにお金が出ているのではないだろうか。これだけの開発が地方自治体にできるわけがない。中国はこれからラオスやミャンマーも含めて東南アジアを支配する予定であろう。ラオスへの高速道路と高速鉄道も建設中である。そんなとき中国国内の発展した国境都市の存在は他国に対する何よりのプロパガンダだ。私は景洪の発展を歓迎する。無理な都市化を感じない。間違いなく住人は幸せになっている。それでいて非常に複雑な気持ちである。ユートピアとディストピアの混在を感じる。